りんご 小麦粉 バター

舞台照明とジェンダー論とアップルパイと障害学

自閉症のネガティビティについて――ダイバーシティからこぼれ落ちるものを愛するために――

昨日は世界自閉症啓発デーだったらしいです。忙しい時期なので毎年、その日になってから気づきます。教育や就労において自閉症者は依然として多くの困難に直面しており、そのような状況を改善するためには啓発活動を通じて自閉症についての科学的裏付けのある「正しい」知識を普及させていくことは不可欠だと思います。
しかし「正しい」知識だけで自閉症者の置かれた状況を改善することはできるのでしょうか。医学的・心理学的な知は自閉症者の生の不安定性(precarity)を解消することができるのでしょうか。もちろん、部分的にはできると思います。私も自閉症スペクトラムとの診断を受け、カウンセリングに通うことで楽になった部分は大きいです。また、科学的な裏付けのない疑似科学的な言説が*1蔓延していることは危険なことだと思います。しかし、そういった「正しい」知識は自閉症者の生をすべて捉えきれているものなのでしょうか。
啓発とは当事者*2が非当事者に向かって行うものです。それはある知*3を伝達することでもあります。そういった伝達をする際に、いきなりローナ・ウィングの論文の束を手渡したり、自分はどういうときに吃るのかについて細かい場合分けをして説明しても仕方がありません。相手は自閉症についてほとんど知識を持たず、関心も特に持っていない人です。そういった人に自閉症について知識を持ってもらい、制度的・文化的・社会的な状況の改善をするのが啓発活動の目的であるわけです。そのため、啓発活動はわかりやすさに重点をおくことになります。わかりやすく説明するということは、情報を削ぎ落とすということです。「重要」な情報を強調し、「重要でない」情報を削ります。その過程で細かい情報は抜け落ちてしまうし、自閉症者の間の差異は見過ごされることになります*4
また、啓発活動は(ほとんどの場合)異議申し立てをしません。社会や文化、制度に対する異議申し立てはマジョリティにとって耳障りなものです。ただでさえ問題に関心を持っていないマジョリティに聞く耳を持ってもらうには、彼らにとって受け入れやすい言説である必要があります。そこで訴えられるのは身近な(あるいは縁遠い)マイノリティへの「思いやり」の推進や差異の承認であり、学校教育における制度的支援の充実や障害年金の拡充の要求、あるいはいじめとその黙認の告発が話題にのぼることは稀です。そのようなお金のかかる再分配の要求、あるいはマジョリティの加害者性に対する異議申し立てはマジョリティにとって受け入れがたいものです。「正しい」知識はマジョリティを傷つけないことが保証されたものである必要があります。その一方、差異を承認することはお金がかからず、マジョリティにとっても心地よいものです。例えば「発達障害をもつ人たちも一緒に働くダイバシティーのある職場」をアピールすることは企業にとってプラスになるでしょう。ナンシー・フレイザーは、先進諸国での新自由主義の広まりと軌を一にしてフェミニズムの文脈でもそのような再分配から承認への転回が起きたことを指摘しています。
マジョリティにとって心地のよい差異の承認は、マジョリティにとって心地のよい(あるいは、比較的受け入れやすい)差異に対してのみ行われます。そしてそれと並行してマイノリティのマジョリティへの同化が図られます。「こういうところに気をつければ自閉症でも『普通に』暮らせるよ」というtipsは条件付きで自閉症者を定型発達者へと同化させるものです*5。それ自体はもちろんあって望ましい知だと思います。自閉症者が実際にこの社会で生きていくうえで、定型発達者のやり方に合わせることが可能な部分がもしあるのなら、合わせたほうが生きやすい面はあるでしょう。しかし、そういった処世術が必要とされる社会・文化・制度そのものを変える必要性は見過ごされてはいけません。同化はあくまで選択肢の一つであって、同化しなければならない状況は是正されるべきです。また、そもそも完全な同化は不可能であり、すべての差異が承認されるわけでもありません。マイノリティがマジョリティに受け入れられるために努力をし、マジョリティが寛容にマイノリティを受け入れたからといって、マジョリティとマイノリティの間の差異がなくなるわけではありません*6
そのような同化に対する両義性に向き合うために、マジョリティにとって受け入れがたい差異に目を向けることが必要です。簡単にマジョリティに同化できるような差異、社会でトラブルを起こさない差異、ダイバーシティの名のもとに包摂可能な差異ではなく、マジョリティにとって受け入れがたく、周囲とのトラブルのもとになり、ダイバーシティと呼ぶことがためらわれるようなネガティブな差異を可視化しなくてはなりません。つまり、非政治化され漂白された「自閉症の人」としてではなく、蔑称として使われていた「アスペ」「ガイジ」という呼びかけを自称として再盗用し、アスペの気持ち悪さ、頑固さ、不格好な吃りを称揚しなくてはなりません。それはクィア・ポリティクスが変態という言葉で使われていたクィアqueer)という言葉を引き受け、異性愛中心主義を批判していったことに重なります。「ゲイカップルも普通のカップルと同じ。だから同性婚を法制化しよう」というリベラルな運動に対抗する、乱交や異性装のようなゲイコミュニティーの文化を強調するようなラディカルな運動です。
例えば自閉症的なコミュニケーションの方法*7を貫き、それを称揚すること、あるいは定型発達者と違った形で感覚が統合された身体を政治的な場に提示することのように、定型発達者を中心に構成された時間と空間を侵食しなければなりません。ACT UPがFDAの前でdie inをし、文字通り空間を占拠することで政府のエイズに対する無策に抗議したように、身体をもって公的な空間を占拠することで何らかの応答を迫ることが必要です。
そういった差異を強調することは、*8アイデンティティポリティクスの傾向をもつでしょう。その弊害はもちろんあると思います。また、そういったラディカルな差異の称揚の一方で、地道な啓発活動が必要であることももちろんです。すなわち、世界自閉症啓発デーのように「正しい」理解を促進する一方で、そういった「正しい」理解に疑いの目を向け、それを撹乱するような活動をする必要があります。それはおそらくどちらかでは不十分なものであり、両方必要なものなのだと思います。
ダイバーシティからこぼれ落ちるものも愛さなければなりません。それもまた、私たちの脳や心の一部分なのですから。

*1:特に自閉症児の親の間に

*2:障害を持つ本人や家族・医師・心理士などの支援者

*3:科学的なものであれ、経験的なものであれ

*4:例えば出生時に割り当てられたジェンダーが女性であるか男性であるかによって、自閉症児の直面する困難の質は違ってくるでしょう

*5:その究極の形が、現在研究の進められている自閉症そのものの治療でしょう

*6:だからといって、受け入れなくていいというわけではもちろんありません

*7:コミュニケーションの速度、メディア、使われる「方言」など

*8:例えば差異派フェミニズム本質主義へと向かったように

「戦場のメリークリスマス」敵同士の愛の話

敵同士の間のクィアな愛の話だった。セリアズとヨノイもそうだし、カネモトとデ・ヨンも。デ・ヨンがカネモトの切腹のときに舌を噛み切ったのは彼を愛していたからなんだと思う。

「セリアズはその死によって実のなる種をヨノイの中にまいたのです」

ヨノイがセリアズによってどのように変わったのかはよくわからなかった。結局両方とも死んでしまったのだから実らなかったじゃないかとも思う。
セリアズがヨノイにキスするシーンは音楽とヨノイの必死な声が合っててすごかった。なんでセリアズが歩いてるのを誰も止めないのかとか謎だけどなんかすごい。自分で演じて自分で劇伴つける坂本龍一すごい。
東洋と西洋、「野蛮」と文明みたいなものがテーマだったと思うんだけど、ああいう「大和魂」みたいなのすごく見覚えがある。別に「大和魂」とか呼ばれてはいなかったけど、なんかそういうものは確かに今も日本にあると思う。わざわざ戦後にアメリカによって作られた「植民地大学」であるICUを選んだ身としてはそういうのは大嫌いだし、ジュネーブ条約は守りましょうねって思う。
そういった文明の対立や戦争というものに引き裂かれた人間たちが(「メリー・クリスマス」というキリスト教的な、あるいは性愛的な)愛によってつながるというのはラディカル・ラブっぽいと思う。文明の違い、国の違いを融かすほどの愛。でも、セリアズもヨノイもカネモトもデ・ヨンも死んでしまって、誰も残らなかった。生きていなければ意味がないと私は思う。たぶん「日本男児」であるヨノイは粛々と死んでいったんだと思うけど。その意味で、この映画は救いがないと思う。愛し合った人たちはみんな死んでしまったんだから。

祖父が死去しました。一人のガラス職人について。

祖父が死去しました。このあいだ。3月の下旬。死因は知りません。ただ、苦しむことはなかったとだけ聞きました。
私は祖父とあまり話したことがありません。17年間同じ敷地内の家に住んで、幼いころはよく祖父母の家で面倒を見てもらっていたのに。
私が物心ついたころ、祖父はすでに耳が遠く、ぼけも始まっていました。だから、私は祖父としっかりとした会話を交わした記憶がありません。ずっと一緒にいたのに。印象に残っているのは、幼いころに祖父母の家で突然怒鳴られたときの大きな声と、高校生の時に祖父が錆びついたレンチと持ち手が木でできたドライバーをくれたことです。息子の長男である(性自認はともかく、少なくとも祖父はそう認識していたでしょう)私に工具を手渡すことは職人である祖父にとって意味のあることだったのではないかと思います。
祖父はガラス職人でした。溶かしたガラスからコップやお皿を作るような、そういう職人ではありません。ガラスを切ったり磨いたりする職人だったようです。祖父は小さな会社を作りました。初めのころは時計に嵌めるガラスを作っていたようです。父が後を継いで、今は車や建物の窓ガラスの施工が中心になっています。
祖父は朝鮮半島で育ちました。今の中国と北朝鮮の国境近くの北朝鮮側だそうです。祖父母の家で餃子を食べるとき、祖父が食べているのはいつも水餃子でした。それがその地域での食べ方だったようです。両親は会津出身の日本人で、祖父はファノンのいうところのコロンの子どもでした。家は裕福な材木商で、人力車に乗って学校に通ったそうです。昭和6年生まれで、終戦時にはおそらく15歳。そこから家族とともに日本に渡り、両親の地元である会津で高校に通ったそうです。卒業後に東京へ。日本橋の会社で修行をしたそうです。
そして60年代の前半に独立して茨城へ。幹線道路沿いに店を建てます。祖父母はどちらも会津にルーツのある人で、茨城には縁もゆかりもありませんでした。そのため、祖父母は地域社会になじむためにいろいろな努力をしたようです。私が生まれた頃には、祖父母は近所の人と旅行に行ったりもしていたし、祖父の葬儀にも多くの方が参列してくれました。しかし、その裏にはさまざまな困難があったようです。祖父母は余所者でした。
息子が生まれ、店は順調でした。同業者の組合にも所属し、支店も1つ出しました。私の知る限り、祖父母の後半生は平穏そのものでした。00年代の終わりごろに、それまで息子の家族(つまり私たち)が住んでいた敷地の奥にある小さな家に引っ越し、2011年の地震のあとに祖母が死去しました。それからは祖父も急に体が弱り、老人ホームに入ることになりました。そして先週、亡くなりました。
これが私の知っている限りの祖父の(そして途中からは祖父母の)人生です。もちろん、祖父は私の知らないいろいろな経験をしてきたのでしょう。祖父は戦争中のことはほとんど語らなかったそうです。でも、孫として知る限りのことを書き残すこと、植民地で育ち、高度経済成長期の日本を生きた一人の職人の面影を書き残すことは私なりの供養です。祖父が老人ホームに入ってからは私はなかなか会いに行くこともできず、祖父のケアに携わることができませんでした(あるいは、しませんでした)。その後悔もあります。
祖父は、朝鮮半島の植民地支配という近代日本史の暗部と、高度成長という右肩上がりの時代、そして歳を取ってからの低成長期という激動の86年を生きました。祖父はそういった時代の中で生きた人であり、その立場をナイーブにすべて肯定することはできません。しかし孫として、祖父が自分の人生に満足していたことは願わずにはいられません。

LINE6のワイヤレスマイクに関するtips

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バイトでLINE6のXD-V75のハンドヘルドマイクを、大学のミュージカルでXD-V55のヘッドセットマイクなどを使ってきて、気づいたことなどのメモです。

携帯を送信機に近づけるとノイズが入る

携帯電話をマイクに近づけるとギュルギュルってノイズが入ります。ひどいときは片手でマイクを持って、もう片方の手で携帯使うとノイズが入るので注意が必要。なぜか受信機に近づけても何も起きない。謎。

受信機は送信機が近づきすぎない場所に

受信機にマイクが近づきすぎると、その近づけたマイク以外のチャンネルの受信機が受信できなくなります。たとえば、1、5、10チャンネルの受信機がまとめて下手袖に置いてある場合に5チャンネルのマイクをもった人だけが下手にはけてきて受信機の前に立ったりすると、1と10チャンネルが受信できなくなります。
そういう事態をさけるために、受信機はどのマイクにも近づきすぎない安全な場所に置いたほうがいいです。私が関わった学内のミュージカルの公演では大道具の中に置いたりしました。だいたい2mくらいの距離を確保すればいいイメージ。狭い小屋だったら卓側に置くのもあり。

ダイナミックフィルターのボタンはとりあえず押しとく

説明書によると、押すとエクスパンダーとハイパスフィルタが入るらしいです。自分で適当に組み立てたマイクでミュージカルやるときちょっとノイズが目立って、押したらちょっとましになったので、なんとなくいつも押してます。さっき説明書で調べるまで実際にどんなフィルターなのかは知らなかった…とりあえず押しとけばなんかいいかんじになる。

WiFiとかは飛んでてもそんなに致命的じゃない

バイト先のハコでも大学の小屋でもWiFi飛んでますが、それが原因で使えないということはないです(もちろんWiFi止めればノイズフロアとかも下がって安心なんでしょうけどなにより不便)。LINE6は強い子。

総評

  • ハンドヘルド型の音質はとてもよいです。マイクモデリングを58にすれば、私の耳では本物の有線の58との違いはわかりません。

  • 電波が受信できなくなるリスクはそんなに高くないです。絶対に失敗が許されない現場(いや、まあ、どの現場も失敗は許されないんですけど)は別として(そういうところはA帯を使えばいいんだと思う)、予算があまりない現場(つまりうちのバイト先みたいな)やアマチュアなら少し気をつければ十分使えると思います。

  • 同時に使えるチャンネル数が多いです。V55の方でも12チャンネル同時に使えます。B帯の同じくらいの値段のワイヤレスマイクだとこんなに多く使えるものはないです。たとえばSHUREのBLXだと6波だし、オーディオテクニカの2.4GHzのものでも8波。

とてもおすすめ。

役立たずな私たちについて

この社会には役立たずがたくさんいる。仕事をすることができず、誰かの世話をすることもなく1、むしろ世話を必要とし、子孫を残すこともない。資本主義社会の発展にとって2、マイナスにしかならない存在である。私もその一人だ。

私たちは確かに、社会の役に立たない

私はアスペルガー症候群の診断を受けた、自閉症スペクトラムだ。大学の授業は週に何度も寝過ごすし、アルバイトでは会社と取引先の信頼関係を損なうようなヘマをしたし、カジュアルな人間関係を築くのは特に苦手だ。コミュニケーション能力が重視される(らしい)1年後に待ち受けている就活においては、マイナスになる要素ばかりだ。
私の専攻が自然科学系だったら違ったかもしれない。エンジニアはアスペっぽい人が多そうだし。でも、私の専攻は残念ながらジェンダー論と政治学という、およそお金儲けの役には立たなそうな代物だ。私は「文系」の「人材」として事務処理とかコミュニケーションの能力を期待されるわけだ。そんなものは授業のレポートすら期限通りに出せないアスペの私にはない。
私たち発達障害者、精神障害者身体障害者ニート、ひきこもりなど3はみな、基本的にこの社会においては役立たずだ。人と話すことができなければ接客はできないし、指が動かなければ工場の作業もできないし、そもそも毎朝決まった時刻に起きられなければほとんどの仕事はできない。
私たちをどうにかして使える「人材」にするため、この社会にはいろいろな仕組みが準備されている。学校や、障害者就労移行支援サービス、ハローワークなど、何重にも張り巡らされたセーフティーネットが私たちをとらえ、私たちが本当に役に立たないのか精査し、どうにかして役に立つまっとうな人間に作り変えようと試み、それが無理だとわかったら一つ下のセーフティーネットに落とす。その一番下にあるのが障害年金生活保護だ。そのネットもまた粗い。
私たちはしばしば、そのようなありがたい4制度によってもまだ役に立つ人間になることができない。ある人はもしかしたら役に立つ人間に変わることができるかもしれない。ADDを公表したモデルの栗原類さんや、特別支援学校を卒業して自動車修理工場で働いている私の知り合いのように。しかし、すべての人がそうなるわけではない。ある人は就職先で失敗して心に深い傷を負うだろうし、ある人は大人になる前に学校でいじめられて屋上から飛び降りるだろう。

役立たずで何が悪い

私たちは、基本的に役立たずだ。それは素直に認めよう。
そしてそれは同時に、なんら恥じるべきことではないし、私たちが死ぬべきだという根拠にはならない。私たちは生きていくことができるべきだ。間接的に5、あるいは直接的に6、殺されてはならないはずだ。


  1. つまりケア労働をすることもなく

  2. 資本主義でも共産主義でも、その国の富を増やすことが至上命題となっている以上、状況はそこまで変わらないはずだ。

  3. 私は発達障害以外のことはわからないため、この文章では主に発達障害の場合を念頭において考えているが、大まかな内容は他の障害、生きづらさの場合にも当てはまるのではないかと思う。

  4. もちろん皮肉です

  5. すなわち自殺

  6. 相模原で起こったように

お手軽PAセットとPAさん――街の音響屋さんの落日

f:id:appleflourbutter:20170702013529j:plain Stagepasというというヤマハ製のPAセットがある。私の通っていた高校の放送室にも、これの古い機種(Stagepas 300だった気がする)があって、小規模のPAでは重宝していたことを覚えている。スピーカーとパワードミキサーが合体するような構造になっていて持ち運びも簡単。マイクとケーブルがあればとりあえず音が出る。*1 それだけでも便利すぎるのに最新機種はフィードバックサプレッサーとかSPXのリバーブとかも付いているのだそう。 説明書もわかりやすく、明らかに音響の素人が使うことを前提としている。これならうちの母校の生徒会担当の現代文の先生でも使える。すばらしい! でも、私はこれを素直に喜ぶことはできない。

これは音響/PA業界にとって脅威だと思う。

街の音響屋さんVSパワードスピーカー

もちろん、東京ドームや武道館でラインアレイを吊って、モニターとFOHで卓を分けて、といった大規模な有名アーティストの現場をこなすPA会社には関係のない話である。ここで問題なのは、神社のお祭りや町内会のカラオケ大会のような現場を担当する小規模のPA会社だ。
マイクを2,3本、CDや音楽プレイヤー、(運が悪ければ)MD、(もっと運が悪ければ)カセットテープ などの入力を16chくらいのミキサーでまとめ、GEQを通してアンプに送り、一対のスピーカーから鳴らす。これこそ、STAGEPASがターゲットとしている市場ではないだろうか。
音質にはそこまでこだわらず、GEQはなくてもよい。音量は頻繁に変えないからミキサーは60mmフェーダーでなくてつまみでいい。そのあたりを少しづつ妥協していけば機材はほぼSTAGEPASと変わらなくなる。マイクだって58じゃなくてベリンガーの安物でいいだろう。ここまでくればセッティングとオペレートはちょっと機械に強い人なら全く問題なくできるはずだ。

そのように、便利な機材が普及することはPAさんを不要にする。クライアントが直接機材を触り、それなりの音を出す。それで満足する。前のようにすばらしい音ではないかもしれない。前のように細やかな音量調節によって聞きやすいスピーチが届けられることはないかもしれない。でも、それで十分なのではないか。
STAGEPASは7万円。PA会社に依頼した場合の値段を1回3万円だとすれば、3回目でSTAGEPASのほうが安くなる。マイクなどの周辺機器を入れても5回目で十分だろう。
これからもっと機材は便利になるだろう。 オートマチックミキサーのようなものがもっと高機能になって安い機材にも取り入れられるようになるかもしれない。そうなったときにPAさんたちはどうなるのだろうか。ラッダイト運動でも起こすのだろうか。

*1:ギターとかに使うフォンのケーブルでアンプとスピーカーの間を繋いでたのは内緒。

【Nonbinary.org翻訳】Nonbinary Gender

この記事はNonbinary.orgのwikiページの“Nonbinary gender”(現在はリンク切れのため、リンク先はwayback machine)という項目の冒頭部分の日本語訳です。翻訳した時点でのwikiの最新版はこちら

Noninary gender

nonbinary genderは、性別二元論に当てはまらないすべての性自認を表す包括的な言葉である。この言葉は、何か特定のアイデンティティをその人が持っているというよりも、ただ性別二原論からはみ出ていると自覚している人が自分を表す際に用いられることもある。この言葉は(性別二元論に沿わないジェンダー表現をする人を表す)gender nonconformingという言葉と意味が重なっている部分があるが、gender nonconformingよりはジェンダー表現にあまり関係がない。 nonbinary genderとgenderqueerはともに似た意味を持つ包括的な言葉である。nonbinary genderを自称する人々の多くは自らをgenderqueerだとも考える。しかし、この2つの言葉は違った意味や含意も持っている。genderqueerはnonbinaryが使い始められる10年以上前から使われており、今ならnonbinaryが使われると思われる箇所でgenderqueerが使われている場合もある。