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舞台照明とポストドラマ演劇とアップルパイとクィア障害学

「戦場のメリークリスマス」敵同士の愛の話

敵同士の間のクィアな愛の話だった。セリアズとヨノイもそうだし、カネモトとデ・ヨンも。デ・ヨンがカネモトの切腹のときに舌を噛み切ったのは彼を愛していたからなんだと思う。

「セリアズはその死によって実のなる種をヨノイの中にまいたのです」

ヨノイがセリアズによってどのように変わったのかはよくわからなかった。結局両方とも死んでしまったのだから実らなかったじゃないかとも思う。
セリアズがヨノイにキスするシーンは音楽とヨノイの必死な声が合っててすごかった。なんでセリアズが歩いてるのを誰も止めないのかとか謎だけどなんかすごい。自分で演じて自分で劇伴つける坂本龍一すごい。
東洋と西洋、「野蛮」と文明みたいなものがテーマだったと思うんだけど、ああいう「大和魂」みたいなのすごく見覚えがある。別に「大和魂」とか呼ばれてはいなかったけど、なんかそういうものは確かに今も日本にあると思う。わざわざ戦後にアメリカによって作られた「植民地大学」であるICUを選んだ身としてはそういうのは大嫌いだし、ジュネーブ条約は守りましょうねって思う。
そういった文明の対立や戦争というものに引き裂かれた人間たちが(「メリー・クリスマス」というキリスト教的な、あるいは性愛的な)愛によってつながるというのはラディカル・ラブっぽいと思う。文明の違い、国の違いを融かすほどの愛。でも、セリアズもヨノイもカネモトもデ・ヨンも死んでしまって、誰も残らなかった。生きていなければ意味がないと私は思う。たぶん「日本男児」であるヨノイは粛々と死んでいったんだと思うけど。その意味で、この映画は救いがないと思う。愛し合った人たちはみんな死んでしまったんだから。